カテゴリ
全体 世界のspiceを感じる(全般) ---NY編 --- ロンドン編 ---旅行記(その他の国) ---言語編 ---外貨貯金への道 ---海外ゴシップ編 アートでspiceを加える(全般) ---音楽 OL生活にspiceを(全般) ---Spicyなものを食べる ---心理学みたいな話 ---Spice Bradshow ---メンズからspiceを頂戴する Spoice!(Sports) 以前の記事
2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2004年 07月 The bomb of life On ice
↑友人Dが付けた私のキャッチフレーズ
28歳のリゾルーションは、「本質への回帰」。 このブログが数年後に、自分の回顧展になればいいなと思います。 イタリア人になりたい!ってのが切なる望み・・・ あと名前に"="(ハイフン)を付けたい! Spicyなものたち ---Artyなもの ・ダミアンハーストに代表されるYBA、日本人なら岡本太郎と葛飾北斎。でも恋こがれるのは芸術テロリストのバンクシー ・ビデオアート(アーティストはクリス・カニンガム!) ・ギャラリーなら04以前のSaatchi(LDN)かPS1(NY) ・映画はハッピーエンドが嫌い、後にもやもやする位のものが好き♪ ・今読んでる本は、夢野久作のドグラマグラ ・好きなサブカル雑誌は別冊宝島とサイゾー。おしゃれ雑誌よりダークサイドなものが好き。"媚び”が少ないから男性誌が好き ・音楽はHouse,Electronica全般,Dub,Grageなど脳髄にブチ込まれて、体の芯がブレるような音楽が好き♪クラシックは是非とも短調で ・今までで一番良かった音楽イベントは、もちろんイビサのレイブ ・最近の好きなDJはFRANCOIS K, Felix, Tiefschwarz, TIESTO, sasha, John digweed ・クラブはPlastic People・The end(LDN)、Cielo(NY) ・ロンドンNo1バーはドラゴンバー 一見退廃した感じがイーストエンドをよく表してる ---好きなタイプ ・美中年!具体的にはジュリアン・ロイド=ウェッバー ---Study ・もし時間もお金も許されるのなら精神医学かMBAを学びたい。 ---好きな食べ物 ・マンゴー、黒ゴマ、抹茶 ・生肉,魚介類全般 ・タイ,ベトナム,メキシコ料理 パクチー最高!ハーブ・スパイス大好き♪ ---Foot ball ・チームはACミランとイタリア代表 ・選手はジダン、ロナウジーニョ、リオ・ファーディナンド、インザーギ、シェフチェンコ、ネドベド ・必ず泣けるのはドーハの悲劇のVTRとなでしこJAPANの試合 ---旅行 好きなエリアはLDNではショーディッチ、NYならミートパッキング 洗練と虚無、商業性と廃墟感を兼ね備えながら、そのポテンシャルから生まれたartが根付いてる街が好き あと水辺が好き。リラックスが下手な私でもなんだか落ち着いてしまう。 ・近々計画中の国 メキシコ、台湾、バリ ・行ってみたい国・都市 エジプト、モスクワ、インド、チュニス ・海外旅行歴 (trangitのみは除く) 2005年10月 ロンドン、ドバイ 10日間 蝦夷の国(!? )2日間 2005年8月 カンボジア(アンコールワット)、ベトナム(ホーチミン) 6日間 2005年5月 NY 2週間 2004年7月 アイルランド(ダブリン)2日 2004年6月 イギリス(エジンバラ、グラスゴー) 3日間 2004年3月 スペイン(バルセロナ、バレンシア)3日間 2004年1月 イタリア(ミラノ) 3日間 2003年9月 ギリシャ(アテネ、ミコノス島、サントリーニ島)、トルコ(イスタンブール、イズミル、チェシメ) 2週間 2003年8月 フランス(ニース)、モナコ 5日間 イギリス(ブライトン) 1日 2003年7月 スペイン(バルセロナ、バレンシア、カステリョン、グラナダ、セビーリャ、マドリッド 3週間 2003年1月 スペイン(バルセロナ、グラナダ)、モロッコ(フェズ、メクネス) 1週間 2002年12月 イタリア(ナポリ、シシリア)、マルタ共和国 1週間 2002年10月~2004年9月ロンドン 2年 2002年1月 オランダ(アムス)、ドイツ(ベルリン、ドレスデン、ミュンヘン)、チェコ(プラハ) 1週間 2001年2月 イタリア(ローマ、フィレンツェ、ベニス、ミラノ) 1週間 2000年8月 パリ 5日間、タイ(バンコク)12時間 最新のトラックバック
ライフログ
フォロー中のブログ
見てから読む?映画の原作 「つれづれオオサカ(仮)... Designcafe-B... halcan シュールな絵画の抽象画の... Fuxokあれこれ who cares? -... なんとなくスカタン NY日記COLORS I LOVE New York ぽっとの陽だまり研究室 Limin in FLA... 大阪万博EXPO70/5... ■ 創生地 ■ そろそろ... かわべー半端帖 新世界ニューヨーク XXXX-O-HOLIC ! へろへろジャズレポ チャタヌガ通信 foggyな読書 ブルックリンへようこそ 黒部エリぞうのNY通信 ウォールストリートタイムズ Osaka'n Life hip hop gene... A Girl at th... 90歳、まだまだこれから... わたくし、こんな絵をかい... ロンドンから(子育て)blog Takashi Imai... つぶやくデジカメ〜東京離... センチメンタル・ショッピング work&rock……&... 検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2005年 09月 01日
ダイアナ妃が亡くなって8/31で丸8年・・・。
チャールズ皇太子はカミラと再婚し、二人の愛息もウィリアム23歳、ハリー21歳と、成人になった。この再婚で英国民は批判ブーブー。 ウィリアム王子が皇太子になるべき!との声も大きくなっている。 いまだにダイアナ人気すごかったからね~~ 私の個人的な意見としては、別に再婚賛成。 ただ、今さら遅いけど最初っから結婚しとけばよかったんやと思う。 ダイアナかわいそうやん。 といってもほんま今さらやし、やっぱどうしても何十年と愛し合ってる熟年同士がここにきて成就するというのは、犠牲が多かったにしろやはり美しい話と私は思ってしまう。 しかし英国王室はほとんど皆さんバツイチになりましたね~ 王位継承順位 1. プリンス・オブ・ウェールズ(英国皇太子)(1948年生まれ) 2. ウィリアム王子(1982 年生まれ) 3. ヘンリー王子(1984 年生まれ) 4. ヨーク公(1960 年生まれ) 5. ビアトリス王女(1988 年生まれ) 6. ユージェイニー王女(1990 年生まれ) 7. ウェセックス伯爵(1964 年生まれ) 8. 第一王女、アン王女(1950 年生まれ) 9. 第一王女の男子、ピーター・フィリップス(1977 年生まれ) 10. 第一王女の女子、ザラ・フィリップス(1981 年生まれ) ここでは英国王室に女性たちについて書いて行きます。 女王とは・・・ Her Majesty, Queen Elizabeth (Alexandra Mary) II (女王エリザベス二世) 1926年4/21ヨーク公爵(のちの国王ジョージ六世夫妻)の長女として、ロンドンに生まれる。幼少時は自宅で家庭教師について勉強していたが、1936年に伯父の国王エドワード八世が退位して自分の父が王位についたことから、第一王位継承者として家庭教師やEton Collageから特別教育を受けるようになる。 一方でガールスカウトに参加したり、戦時中は英国軍の婦人部隊に参加するなど、王室外での活動にも忙しい少女時代を過ごす。 1947年11/20、ギリシア王家の王子であるフィリップ・マウントバッテン海軍大尉と結婚。 チャールズ皇太子を始めとする4人の子供をもうける。1952年、アフリカを訪問中に父王の訃報を受けて仮の王座につき、 1953年6/2正式に英国と英連邦及び北アイルランドの君主として即位。以降、英国陸海空軍の頂点に立つほか、英国国会の監視などの国家元首としての義務を果たしている。また国内外の700以上のチャリティや非営利目的の団体の総裁としても活動している。 つまり、旧大英帝国(現イギリス連邦)の君主です。 ものすごい権力です。 ところで、ほとーんど話題にも上りませんが、そのすごい女王の夫君という方はどんな方なんでしょうか?? His Royal Highness (HRH) Prince Phillip, The Duke of Edinburgh (エジンバラ公爵フィッリップ殿下) 1921年6月10日、ギリシア、デンマーク王家のアンドリュー王子を父、英国のビクトリア女王の曽孫にあたるアリス・バッテンバーグ妃を母としてコルフ島で誕生。 ギリシア革命による王室廃止と死刑の危機を、時の英国王ジョージ五世に救われ、フランスに亡命。 フランス、イギリス、ドイツで初等教育を受けた後、スコットランドのGordonstoun Schoolに入り、基本教育を終える。卒業後は英国海軍に士官候補生として入隊し、実戦を経験する。戦後、海軍士官としてキャリアを積む一方、1947年に当時のエリザベス王女と婚約。同時にイギリス国籍を取得し、英国王室における王位継承権を放棄する。 結婚後も海軍での仕事を続けて海軍少佐にまで昇進したが、エリザベス女王の即位と共に退官。以降は英王室の一員として、陸海空軍に元帥や総督として着任する。女王の伴侶として公式行事をこなす一方、WWF(世界動物基金)など、800以上のチャリティ団体の総裁として活動。また、ケンブリッジ大学、エジンバラ大学等の大学総長も務めている。 世界一高貴なマスオさん、フィリップ公。ギリシャの王子だったのね・・・ ほんとに目立たなくて写真も全然見つからなかった。。。 革命時に助けてもらった英国への恩を忘れずに女王に忠臣を誓う公爵。 英国王室における王位継承権を放棄ってとことエリザベス女王の即位と共に海軍少佐を退官ってとこがいいわ~ Diana (Frances), Princess of Wales (故ダイアナ妃) 1961年7月1日、アルソープ子爵(後にスペンサー伯爵)の三女として、王室所有地のSandringhamで誕生。 少女時代を父の所有地であるアルソープで過ごした後、ケントのWest Heath Schoolで中学校教育にあたるOレベルを終え、スイスのフィニッシングスクールで1年程過ごす。イギリスに帰国後は、ロンドン市内の幼稚園に就職。1981年、チャールズ皇太子と結婚し、王室の一員となる。 その後は皇太子妃としての義務を果たすほか、特に人道的チャリティに力を注ぎ、英国のみならず世界中の人々の人気を得る。14年あまりの結婚生活の間に二人の王子をもうけたが、1996年に離婚。「Her Royal Highness」という王室直系の一員を示す称号を失うと同時に、100近くのチャリティ団体の総裁職を辞職する。 以降は「Princess of Wales」として6つの人道的チャリティ団体を後援するほか、国際的な地雷撤去キャンペーン等にも積極的に参加したが、 1997年8月31日パリ市内で交通事故により死亡。ダイアナ妃が住んでいたケンジントン宮殿の前には、今も死を悼む人々からの花束でいっぱいだ。 Queen Elizabeth, the Queen Mother (エリザベス女王皇太后) [1900~2002]エリザベス女王の母君で、George VI (国王ジョージVI世、1895-1952)の未亡人。 2002年3月30日午後、ウィンザー城の一室で、エリザベス(クィーンマザー)は静かに息をひきとりました。1900年生まれの彼女は101年の年月を過ごしましたが、女王として役割を果たしたのは比較的短く、戦後生まれの若者には主に、クィーン・マザー(女王の母)として親しまれました。 スコットランド王室出の彼女は、幼少期のほとんどをスコットランドで過ごし、第一次世界大戦を迎えると、看護婦として働きはじめました。彼女の夫となるプリンス・アルバート(のちのジョージ六世)はシャイな性格で、エリザベスの積極的な性格に惹かれたようです。 1923年にエリザベスはプリンス・アルバートと結婚、ヨーク公爵婦人となり、間もなく現在の女王であるエリザベスを生みました。1936年、ジョージ五世が亡くなりました。 次の王位継承者はエドワード八世でしたが、離婚歴のあるアメリカ人女性との結婚を決意したため、その弟であるアルバート公爵は王位を継承し、彼女は女王の座につきました。第2次世界大戦でイギリス国内の状況が悪化する中、王を助け、国民の士気を高める役割を果たしたと言われています。 夫ジョージ同様王位継承については消極的というより、夫の体を考えて絶対反対であったと言われています。 事実予期せぬ即位となったジョージ6世は、国王の激務から体を害し、強度のどもりという言語障害を持っている事で、周囲からはそれが王としての責務を果たす上での妨げになるのでは、という不安を集めていたジョージ6世を、彼女は内助の功で支え、言語障害を克服させ、国民同様の平和な家庭を築きました。 第二次大戦中もドイツ軍の空襲から逃れる為の疎開を拒否し、国民同様にロンドンに踏みとどまり、国民への奉仕と義務を率先し、『無名の王』から『良き王』へと国民の評価を上げた 原動力こそがエリザベス王妃でした。 彼女は51歳になった時に、夫であるジョージ六世を亡くしました。そこで王位は彼女の娘に譲られ、エリザベス二世が誕生しました。彼女の娘が女王となるに伴い、エリザベスはクイーン・マザーとなったのです。その後50年間エリザベス二世を助けてきました。その積極的な姿勢は、国民によく知られ、彼女の忠誠心とやさしさは広い支持を得てきました。 クイーン・マザーの遺体は、ウィンザー城のロイヤル・チャペルからロンドンのセント・ジェームズ宮殿に移されました。 4月9日、ウェストミンスター寺院にて、葬儀が行われました。 クィーンマザーエリザベスは、ジョージ6世のプロポーズを2回断ったそうです。 それでもどうしてもというジョージ6世。 長男でありながら離婚暦が2回あるアメリカ人のシンプソン夫人との恋を貫いて王位を放棄した(離婚歴のある人は王妃になれない)兄のエドワード8世とは対照的なジョージ6世も、この時ばかりはと男をあげたんですな~ そして最後は、このクィーンマザーの次女、現エリザベス女王の妹のマーガレット王女について HRH Princess Margaret(マーガレット王女) 1999年 土曜日ごとに、"Daily Mail"紙が「王室の世紀」というタイトルで、ロイヤル・ファミリーに関する興味深い物語を新聞の付録としてつけていました。 1回目が、チャールズ皇太子の愛人として有名なカミラ夫人、2回目がエリザベス女王とフィリップ殿下の夫婦の物語、そして3回目がマーガレット王女についてでした。 マーガレット王女は1930年生まれ、若い時は美人でした。国王の娘に生まれ、それほどの美人でありながら、"Daily Mail"紙は「不機嫌な王女」というタイトルをつけてしまうような生き様。 18歳の時には公衆の面前でタバコを吸う姿を見せたりしていた王女の大きな逸脱行動が広く明らかになったのは、エリザベス女王の戴冠式の際だったそうです。当時22歳の美しい王女は、亡き父王の侍従で第2次世界大戦のパイロットでヒーローでもあった38歳のピーター・タウンゼントのジャケットのゴミを戴冠式の最中に払ってあげたそうです。 そこには、あきらかに恋人同士だけが持つような雰囲気が漂っており、2人の関係は広く世間の知るところとなってしまいました。 タウンゼントは当時離婚していましたが、その離婚にも王女の存在が関係していたようです。 王女が14歳の時に2人は出逢い、16歳になるまでには、王女はすっかり恋する娘になってしまっていたそうです。2人の関係が明らかになって以降、結婚も考えられたようですが、結局ふたりは別れさせられることになりました。 マーガレット王女は、その後30歳でスノードン卿と結婚し、2児をもうけます。2人は、1978年まで婚姻関係にありましたが、2人の間には早い時期から愛情の交流はなく、形だけの夫婦でした。マーガレット王女は、夫がありながら、作家でピアニストだったロビン・ダグラス・ホームや、俳優のピーター・セラーズと次々と浮き名を流したようです。 (ちなみに、ロビン・ダグラス・ホームは、マーガレット王女の気持ちが、ピーター・セラーズの方に移ってしまったことを嘆いて自殺したそうです。) この頃マーガレット王女が住んでいたのは、ケンジントン・パレスですが、ここは後にダイアナ妃が住み、やはり夫チャールズ皇太子との愛情が得られない寂しさから、夫以外の男性と寝たと告白した場所でもあります。 マーガレット王女の恋の遍歴はこれでもまだ終わらず、43歳の時には、息子と言ってもおかしくないような25歳の青年ロディ・レウリンと出逢い、恋をします。それ以降、マーガレット王女はどこへ行くにも、このロディを伴うようになり、ついにこれがエリザベス女王の不興を買うことになりました。しかし、この時もマーガレット王女は、姉の忠告に素直に従うのではなく、大量の睡眠薬を服毒するという対応をしました。 このロディとのゴシップが、形式だけではあっても続いてきていたマーガレットとスノードン卿の婚姻関係を完全に破綻させました。 (この離婚は、その後次々に生じる王室関係者の離婚に弾みをつけたとも言われています。) こうしたマーガレット王女の逸脱的な生き方は、様々なものに対する反抗と解釈することができるようです。マーガレット王女は、誕生の時から男児を期待していた両親をがっかりさせ、小さい頃に祖母に指摘されて以来背が低いこと(150cm強)をコンプレックスとし、常に姉のエリザベス女王の影のような存在と周りから見られることで、自らを低く評価して成長してこざるをえなかったというライフ・ヒストリーを背負っています。 さらに、初恋を結婚まで成就させた姉と違い、マーガレットの初恋は無惨に引き裂かれ、ますます反抗心が強まったようです。 こうした否定され続けてきた経験が、彼女をして自分に愛と心地よさを与えてくれる人間を常に周りに置き、自己満足を感じていたいという生き方を選ばせたと言えるようです。 こんな奔放な生き方をしてきたマーガレット王女ですが、決して弁解をしないその堂々たる態度を国民は好意的に受け止めているそうです。
by spice_addict
| 2005-09-01 12:33
| 世界のspiceを感じる(全般)
|
ファン申請 |
||